「顧みられない熱帯病」 の寄生原虫 治療薬の探索を目指して

東京工業大学学術国際情報センター・准教授 関嶋政和

皮膚リーシュマニア症
サシチョウバエ

 「顧みられない熱帯病」は、英語ではNeglected Tropical Diseases(NTDs)と書かれますが、熱帯地方で10億人もの方々が罹患している病気です。 最近では、北海道洞爺湖サミットでもNTDの統制または制圧について"With sustained action for 3-5 years, this would enable a very significant reduction of the current burden with the elimination of some of these diseases."(G8 Health Experts Group, 2008)と述べられておりますが、2012年に至っても患者数については残念ながら劇的な変化は見られておりません。今までなかなか顧みられなかったのは、これらの病気がその名の通り熱帯地方を中心とした病気であり、多くの場合(蚊による媒介のような)衛生状態や生活状態によるものであるため、先進国の中ではあまり問題にならないこと(一盛、2008)、また、このような熱帯地方の所得水準の問題により、上市までにおおよそ500億円の研究開発費(八木ら、2010)がかかるとされる新薬の研究開発対象となり難いことが考えられます。

 日本でも、かつてはNTDsに含まれるリンパ系フィラリア症(象皮病)が全国的に蔓延し、住血吸虫病が甲府盆地や利根川流域、片山地方、筑後川流域で恐れられました。象皮病は西郷隆盛がこの病気に感染していたことが知られていますが、第二次世界大戦後の衛生環境の向上などで、これらの病気は減少し、1978年の沖縄本島での報告を最後に根絶されました。

象皮病
バンクロフト糸状虫症

 本共同研究では、上記のNTDsの中でもリーシュマニア症、シャーガス病、アフリカ睡眠病といった疾患を引き起こす寄生原虫治療薬探索に寄与することを目指しています。本研究は大きく二段階に分かれています。第一段階では、特許や文献等の公開情報に対するデータマイニングを実施し、寄生原虫治療薬探索に関する有用な知識を取り出します。第二段階では、インシリコスクリーニングを用いて、抗寄生原虫活性を有する可能性のある化合物を探索します。東工大は日本初のペタフロップス級の性能を誇るスーパーコンピュータ「TSUBAME2.0」を活用したデータマイニング及び市販化合物を対象としたインシリコスクリーニング計算を担当します。アステラス製薬はデータマイニングに必要なデータ収集及びインシリコスクリーニング計算結果に基づく評価化合物の選択・リスト化を担当し、短期間かつ効率的な創薬研究を実施いたします。東京工業大学からは、本共同研究に私(学術国際情報センターの関嶋准教授)を始めとして、大学院情報理工学研究科秋山泰教授、同瀬々准教授が参加を致します。

 

 今回の共同研究では、TSUBAME2.0(スパコン)を活用して、1)創薬標的蛋白質の同定、2)リードの同定、という2つのプロセスの効率化を目指しています。創薬のコストについて、仮にTSUBAME2.0(スパコン)の活用により各プロセスの成功確率を5%向上すれば、トータルで約14%の研究開発費の削減が見込めます(Brown D. et al., 2003)のデータに基づき、関嶋が算出)。日本の上位10社の研究開発費の合計は1兆円を超えるので(製薬協DATA BOOK 2009)、日本の製薬業界全体では1,400億円以上の効率化に相当します。 勝負は、TSUBAME2.0(スパコン)の活用によって、本当に2つのプロセスの成功確率を5%向上できるかどうかです。今回の共同研究では、インシリコスクリーニングとデータマイニングを使います。TSUBAME2.0(スパコン)は、インシリコスクリーニングの基礎となる分子動力学シミュレーションの性能、データマイニングの基礎となるグラフ処理性能を格段に向上することができます。東工大の研究チームとしては、TSUBAME2.0(スパコン)の活用により、インシリコスクリーニングの場合、計算精度(ヒット率)を3倍以上、計算対象の化合物数を10倍以上にし、最終的なアウトプットを30倍以上にすることを目標にしています。実際の創薬研究は一筋縄ではいかないと聞いており、インシリコスクリーニングのアウトプットを30倍にすることが、成功確率の5%向上につながるかはまだ分かりません。今回の共同研究を通じて、そのあたりも検証していければと思っています。

成功確率

1個上市するために必要なプロジェクト数

フェイズ

Target
Assess

Lead
ID

Lead
opt

Pre
clinical

P I

P II

P III

Reg

合計

改善前

63%

60%

63%

57%

58%

45%

58%

85%

0.017

57.3

改善後

68%

65%

63%

57%

58%

45%

58%

85%

0.020

49.0

 

0.86

14%削減

 今回の共同研究は「顧みられない熱帯病の治療薬探索」という社会貢献が主目的ですが、新しい創薬技術の開発を通じて、日本の製薬産業に貢献したいと考えています。

 参考文献

  1. 八木崇、大久保昌美「医薬品開発の期間と費用」JPMA News Letter No.136、pp.33-35
  2. G8 Health Experts Group"Toyako Framework for Action on Global Health "2008年7月
  3. 一盛和世「顧みられない熱帯病」対策-地球規模での現状と日本の貢献」2008年10月
  4. WHO"Working to overcome the global impact of neglected tropical diseases"2010
  5. Brown D. et al. Drug Discov Today. 2003, 8, pp.1067-77
  6. 製薬協DATA BOOK 2009

熱帯病に関しましては、複数感染症の一括診断技術を用いた多種感染症の広域監視網と感染症対策基盤の構築プロジェクトのweb siteなどをご覧ください。

写真は、全てCenters for Disease Control and Prevention (CDC)Public Health Image Library (PHIL)による。